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0141::0001悟真篇註疏:四庫全書解題

四庫全書解題:現代語訳

 私どもが思料しますに、『悟真篇註疏』三巻と附録の『直指詳説』一巻は、宋の張伯端が著述し、翁葆光が注をつけ、戴起宗が疏を増補したものでございます。伯端はまたの名を用成、字は平叔といい、天台の人であります。熈寧中に蜀へ旅行した際に異人に出会い、金丹火候の秘訣を授かり、元豐中に荆*1湖に逝去し、無生の偈を残しました。弟子達が荼毘にふすと、仏教で言うところの舎利が千百粒出てまいりました*2。七年後に王屋山中で出会った者がおりまして、世俗では張伯端は仙人になったのだと代々伝わっております*3。この書は金丹の枢要を説き明かしたもので、『参同契』と並んで道家が正典として推してございます。書中に説かれておりますところの、「要知産藥川源處。只在西南是本郷*4とは、『参同契』の「三日出為爽。震生庚西方」*5という意味、「藥重一斤須二八」とは、『参同契』の「上弦兌數八。下弦艮亦八」*6という意味、「三五一都三箇字。古今明者實然稀」*7とは、『参同契』の「三五與一。天地至精。可以口訣。難以書傳」*8という意味、「木生于火本蔵鋒。要須制伏覔*9金公」*10とは、『参同契』の「河上姹*11女。得火則飛將。欲制之。黄芽為根」*12という意味でございます。そこここで説かれている秘訣はたいへん奥が深く、修行者で正しく理解できた者はわずかでした。乾道中に象川の翁葆光が初めて三篇に分け、注をつけてその意味を解釈し、また悟真直指詳説一篇を付しました。これが伝わって時間が経つうちに訛って薛道光の著作となり、翁葆光の名は世に出なくなりました。元の至順年間になって、集慶の戴起宗が原本を捜して訂正を加え、そこで翁葆光の注であると定まったのです。それから更に疏を作って補完したものを世に出したのです。二人の錬金術はたいへん深いため、その言葉にはすべて説得力があります。例えば真陰真陽の二物の力を借りて、天地の一氣を奪い、金丹の材料とし、丹田氣海の中に帰して、身体を制御することで、後天地の氣が従順になること、星々が北極星に従うようなものであるというようにです。その説は実によく錬金術の秘訣をまとめてあり、悟真篇の注釈にはその要点を明快にしたものが多いとはいえ、本書を越えるものはいまだにございません。そこで収録して道家の一説とした次第であります。乾隆四十五年七月謹んで献上いたします。

總纂官 臣紀昀 臣陸錫熊 臣孫士毅

總校官 臣陸費

 

四庫全書解題:原文

臣等謹案。悟真篇註疏三卷附直指詳説一卷。宋張伯端撰。翁葆光注。而戴起宗所重増疏義也*13。伯端一名用成。字平叔。天台人。熈寧中遊蜀遇異人*14。傳金丹火候之秘*15。元豐中成道於荆湖*16。以無生留偈而逝。其徒焚之。若釋氏所謂舍利者千百。後七年復有人見之王屋山中。故世俗相傳以為仙去*17。是書專明金丹之要。與參同契並道家所推為正宗*18。其中所云。要知産藥川源處。只在西南是本郷者。即參同契三日出為爽。震生庚西方之旨。其云藥重一斤須二八者。即參同契上弦兌數八。下弦艮亦八之旨。其云三五一都三箇字。古今明者實然稀者。即參同契三五與一。天地至精。可以口訣。難以書傳之旨。其云木生于火本蔵鋒。要須制伏覔金公者。即參同契河上姹女。得火則飛。將欲制之。黄芽為根之旨。彼此闡發指蘊極為深奥。學道者罕得真解*19。乾道中象川翁葆光始析為三篇*20。作注以申繹其義。又附以悟真直指詳説一篇。傳之既久或訛為薛道光撰。而葆光之名不顯。逮元至順間集慶戴起宗訪得真本重加訂正。於是定為葆光之注。而已復為之疏相輔而行。二人□丹術頗深。故言之皆有根柢*21。如所云假真真陽之二物*22。奪天地之一氣。以為丹餌。歸丹田氣海之中。以御一身。後天地之氣*23。翕然歸之。若衆星之拱北辰。其説實能括丹家之秘*24。悟真篇注釋雖多其明白切要。未有能過於是本者。故録而存之以備道家之一説焉。乾隆四十五年七月恭校上。

總纂官 臣紀昀 臣陸錫熊 臣孫士毅

總校官 臣陸費

 

四庫全書解題:訓読

 臣等謹みて案ずるに、悟真篇註疏三卷附直指詳説一卷は、宋の張伯端の撰、翁葆光の注にして、戴起宗の重ねて疏義を増す所なり。伯端は一名用成、字は平叔、天台の人。熈寧中蜀に遊び異人に遇ひて、金丹火候の秘を傳へらる。元豐中荆湖に成道す。無生を以て留偈して逝く。其の徒之を焚くに、釋氏の所謂舍利若き者千百。後七年して復た人有り之を王屋山中に見ゆ。故に世俗相ひ傳へて以て仙去すると為す。是の書は專ら金丹の要を明らかにし、參同契と並びに道家推する所の正宗と為す。其の中に云ふ所の、産藥川源の處を知らんと要せば、只だ西南に在り是れ本郷なる者は、即ち參同契の三日出を爽と為し、震は庚に生ず西方の旨なり。其の藥重一斤二八を須ふと云ふ者は、即ち參同契の上弦兌數八、下弦艮も亦た八の旨なり。其の三五一都三箇字、古今明なる者は實然として稀なりと云ふ者は、即ち參同契の三五と一は、天地の至精、以て口訣す可く、書を以て傳へ難しの旨なり。其の木火に生じて本鋒を蔵す、要は須らく制伏して金公を覔むるべしと云ふ者は、即ち參同契の河上姹女、火を得れば則ち飛び、將に之を制せんと欲すれば、黄芽を根と為すの旨なり。彼此闡發し、指蘊極めて深奥を為す。學道の者真解を得ること罕なり。乾道中象川の翁葆光始めて析して三篇と為す。注を作りて以て其の義を申繹し、又た附するに悟真直指詳説一篇を以てす。之を傳ふること既に久しくして或は訛りて薛道光の撰と為し、而して葆光の名顯はれず。元の至順間に逮り集慶の戴起宗訪ひて真本を得て重ねて訂正を加ふ。是に於て定めて葆光の注と為す。而して已に復た之に疏を為し相輔けて行ふ。二人の丹術は頗る深く、故に之を言ひて皆根柢有りと。所云ふ所の如きは真陰真陽の二物を假りて、天地の一氣を奪ひて、以て丹餌と為し、丹田氣海の中に歸して、以て一身を御す。後天地の氣は、翕然として之に歸すること、衆星の北辰に拱するが若しと。其の説は實に能く丹家の秘を括り、悟真篇の注釋其の切要を明白にするもの多しと雖も、未だ能く是の本を過ぐ者有らず。故に録して之を存し以て道家の一説を備ふ。乾隆四十五年七月恭みて校上す。

總纂官 臣紀昀 臣陸錫熊 臣孫士毅

總校官 臣陸費

*1http://mousai.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/char-desc?char=&G0-3E23;

*2:『佛祖統紀』(大正蔵T49:2035)巻五二に「神宗天台張平叔遇異人得金丹之訣。著悟真篇。傳於世。讀雪竇祖英集頓明心地。後坐化。焚之得舍利千百。」(神宗に天台の張平叔は異人に遇ひて金丹の訣を得。悟真篇を著し、世に傳ふ。雪竇祖英集を讀みて心地を頓明す。後坐化して、之を焚くに舍利千百を得。)とある。

*3:元豊年間以降の事跡については、註疏の翁葆光序及び直指詳説の張真人本末を参照。

*4:註疏巻上、七言四韻、第七首参照。

*5:『周易參同契通真義』卷上 復卦始萌章第十三、『周易參同契解』巻上、『周易參同契分章注』巻上 聖人上觀章第四参照。

*6:『周易參同契通真義』卷上 火記不虚作章第二十九、『周易參同契解』巻上、『周易參同契分章注』巻上 龍虎兩弦章第九参照。

*7:註疏巻上 七言四韻第十四首参照。

*8:『周易參同契通真義』卷中 太陽流珠章第六十八、『周易參同契解』巻中、『周易參同契分章注』巻中 流珠金華章第二十四参照。ただし通真義は「三五」を「二五」に誤る。

*9http://mousai.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/char-desc?char=%E8%A6%94

*10:註疏巻中 七言絶句六十四首第二十四首参照。

*11http://mousai.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/char-desc?char=%E5%A7%B9

*12:『周易參同契通真義』卷中 河上姹女章第七十二、『周易參同契分章注』巻中 女黄芽章第二十六参照。

*13:原文「而戴起宗所重増義也」を、提要は「元戴起宗疏」(元の戴起宗の疏)に作る。

*14:提要は句頭に「自云」(自ら云う)の二字を付す。

*15:提要は「傳授丹訣」(丹訣を傳授せらる)に作る。

*16:原文「成道」を、提要は「卒」(卒す)に作る。

*17:原文「以無生留偈。……故世俗相傳以為仙去。」を、提要は「世俗傳以爲仙。亦無可考驗也。」(世俗傳へて以て仙と爲すも、亦た考驗す可き無し)に作る。

*18:提要は「與魏伯陽參同契道家並推爲正宗。」(魏伯陽の參同契と道家並びに推して正宗と爲す。)に作る。

*19:原文「彼此闡發指蘊極為深奥。學道者罕得真解。」を、提要は「其餘亦皆彼此闡發。然其書初出第道家自相授受。儒家罕有傳術者。」(其の餘も亦た皆彼此闡發す。然れども其の書初め出でて第だ道家自ら相ひ授受し、儒家傳術する者有ること罕なり。)に作る。

*20:提要は句頭「乾道中」を「至乾道中」(乾道中に至りて)に作り、原文「翁葆光」の前に「象川」を付す。

*21:原文「而已。復為之疏相輔而行。……故言之皆有根柢。如所云……」を、提要は「而復為疏以發明之。是二人者。未聞羽化飛昇。亦未聞其長生久視。但據其書而論。則所云……」(復た疏を為し以て之を發明す。是の二人は、未だ羽化飛昇するを聞かず。亦た未だ其の長生久視するを聞かず。但だ其の書に據りて論ずれば、則ち云ふ所の……)に作る。

*22:原文「真本」を、提要は「舊本」に作る。

*23:提要は「則一身之氣」(則ち一身の気にして)と続ける。

*24:原文「其説……」以下文末まで、提要は「其説亦似乎近理。故録而存之。以備丹経之一種。葆光。字淵明。號無名子。象川人。起宗。字同甫。集慶路人。延祐中。常官紹興儒学教授。其始末則均無可考云。」(其の説は亦た理に近きに似たり。故に録して之を存し、以て丹経の一種に備ふ。葆光、字は淵明。無名子と號す。象川の人なり。起宗、字は同甫。集慶路の人なり。延祐中、常て紹興儒学教授に官たり。其の始末は則ち均しく考ふ可き無しと云ふ。)に作る。