内丹文献訳注稿β RSSフィード

0141::0002悟真篇註疏:序

序:訓読

悟真篇、性命を分かち二宗と爲し、人に各々進むるを訓ふ。内外を分かち二藥と爲し、人に同じく進むるを訓ふ。實に千古丹經の祖爲り。世に垂れ教を立つ、周易參同契と並びに傳へて不杇たるべし。葉文叔未だ註せざるの前より、道は師より傳へ、其の義を註する者無し。葉文叔既に註しての後より、人道に晦く、其の錯を辦ずる者無し。予見る所の數十家の註、皆獨修を以て偏り觧らかなり。或ひは旁術を以て、妄りに箋し、金丹大道をして、世聞くを得ざらしむるに致り、茫然として蹊徑の以て其の門奥に入る無し。師傅も亦た殆ど絶す。既にして師より絶すれば、則ち何に從りて聞くや。是を以て能く聞く者寡し。又た安ぞ能く之を行ふ者有らんか。世傳の紫賢註する所は、徒に真人の傳を以て其の文を珍ぶも、亦た世人翁葆光の註を竊かに易へて道光の註と爲すを知らず。予詳かに篇末に辦ず。無名子も亦た真人の泒なり。昔乾道癸已に於いて、文叔註する所の舛謬を見、後の大道を迷晦するを恐れ、乃ち義を觧し明を敷き演を詳かにするを爲す。一粒の神を讃じ、三乗の理に分け、盡く天機を泄し、以て師旨を明らかにす。昔予瑞陽に在り、以て世傳の紫賢の觧らかにする所の、悟真篇數條有り。余に示して其の箋註と諸家の異なるを見る。又た證するに父師の授くる所の者を以てすれば、皆深竊合はず。之を疑ひ之を讀むこと再三にして、稍々其の妙を知る。全文を獲るに及び、反復して尋繹す。食を忘れ寝るを廢し、一字一句、深く究め綿々と思ふ。先兄仲甫縣丞と、或いは詰め、或いは答へ、或いは難じ、或いは考へ、之を讀むこと數年、乃ち參同契と大丹の旨合ふを知る。葢し予參同契に於いて、夙に玄教に蒙く、縁未だ合はざるを以て、他に工を用ふる無し。惟だ悟真篇に於いて、此に自り旨を知ると雖も、悟真に又た内外の分、一時の玄有り。又た未だ能く洞明せず。况や諸仙においてや。盡く諸書を秘して述べず、師に參ぜんと欲するも師の訣する可き無し。文を考えんと欲するも文の考える可き無し。以て是の介心念念として忘れざれば、天其の裏に誘ふ。至順辛未の夏に於いて、師に遇ひ訣を得、歸して以て兄に語り、喜びて寐ず。厥の後無名子の註を見るに及んで、符契に合ふが若し。乃ち天仙學ぶ可く元神死せざるを知る。鍾呂諸仙、皆斯の道を同じくす。片餉の工夫にて、聖域に立躋するは、宜しく上天の祕する所、誓ひて人に傳へず。嗚呼、余延祐癸亥自り、紹興路に儒學を教授して年五十有二なり。患難相仍ね、幾か性命に致る。遂に志して名利を棄損し專ら了性了命を以て事と爲す。之を好みて之篤く、之に參じて之勤め、道心に負かず、師に遇ひ道を授かり、余をして順境に渉しむ。塵累ねて百金に過ぎず、官增すること數級にして止み、一生を汨汨とす。何ぞ己に益さん。今之を知りて錬ぜざれば、自ら愚癡を取る。一たび人身を失へば、千刼も遇ひ難し。又た况や道を聞くに於いてをや。時に當り道を聞きて已後、普度を立願し、中夜以て思ふ。敢て天機を妄泄せざれば、則ち將に何ぞ以て人に示さんとするや。逕に循ひ縱に入り、天譴を避けず。故に師誓に違ひ文字に述べ、語言を形にす。世人久しく焉に迷ひ、能く確信し、因りて袤集す、歴代祖師破する所の旁門は、人をして其の此を爲すも、必ず天仙の效を成す無きを知らしむ。以て何に從りて入道するかを返思す可きを庶ふ。故に之を標して學仙破惑と曰ふ。惑既に破る。又た將に何ぞ以て人に示さんとするや。道の閫奥に入り因りて選ぶ諸仙經道典同じく揆を一にする者、凡そ十篇。師傳秘旨を以て、仙意を推明し、述べて註觧を爲し、仙道の正を明らかにす。故に之を標して學仙正宗と曰ふ。具に別集に載す。豈に先兄の奄棄し修錬を偕にせざるを期せん。愈々警省を增し、年日衰邁し、恪んで速修を志す。因りて以て無名子の註文は、間に未だ暢べざる有り、法象未だ能く悉く具はらず。乃ち各章に疏義を述べ、以て其の未だ盡さざるの機を明らかにす。金丹法象の、以て其の互用の理を顯はす。又た以て悟真篇述べる所、内外訣を殊にす。故に多く辭同じくして句異なる。既に爐に安じて鼎を立つると曰ひ、又た藥爐を守るを謾め、柴炭を用いずと曰ふ。既に一時にして成ると曰ひ、又た一日にして成り、十月にして熟すと曰ふ。或いは一物を以て諭を立て、而して用ひる所の訣は同じからず。或いは衆名を以て譬を取り、而して指す所の物は則ち一なり。此の類の如きは、句異なること甚だ多し。故に讀者迷ひ易く、或いは彼を證すれば、則ち此を失ふ。或いは此を證して、而して彼を失ふ。人をして見ること易くし、旁門に曲合せしむるに致る。之を知りて旣にして偏り、之に迷ひて愈々固く、錯を將て自ら修め、錯を以て人に教へ、迷ひ迷ひて已まず。深く嘆く可きなり。今詩詞を以て各々分類し標題を左に聚め但だ正文を讀む。已に大意を見れば何况や註疏の詳明にして、昭然として見ること易からん。斯の書を得る者は仙と分有り。斯の道を聞く者は仙と分有り。斯の道を聞く者は、速修して疑ふ無し。方に將に投僻せんとするや、道路を以て一を抱きて心を空じ、夫の三聖の真修全くす。一生を虚度せざるを庶ひ、傳を諸仙に得るの後は、勉力精進し、何ぞ敢て自ら怠らん。夫の最上一乗の若きは、必ず須く自ら悟るべし。又た文字語言の傳に在らず。今口耳の學を以て、外道の空に墮ち、混ぜて仙道の玄と爲す。二宗皆二藥に非ざれば、偏用して迷流に溺るる者多し。學仙を願ふ所の士は、必ず同じく務め、各々進むるに融かす。其の登天の品異なるは、以て師真父兄に恩徳の萬一も申酬す可しと云ふ。至元元年、集慶空玄子、戴起宗同甫謹みて序す。